ミルヤの祖父が亡くなった時、鎧戸を開けた窓からうっすらと曙光が差していた。うすもやの向こうで目を覚ました太陽があくびをしたかのように、一時だけ明るく差し込んだ。その場にいた人たちは、まるで亡くなった人の魂を迎えに来たようだったと言い合ったものだ。

一晩のうちに涙も嗄れ果てて、ぼんやりと窓の外を眺めていたミルヤは、畑の向こうの梢に一羽のふくろうがいるのに気がついた。枝振りのせいかなんなのか、そこだけ薄く翳った枝の上に、これまた薄暗い乳白色の大きなふくろうが止まっていた。ぎらぎらと光る異様に大きな緑の目が、まっすぐにミルヤのいる窓を見つめていた。

ふくろうの目というのは黄色いものだ。だからミルヤはその不気味な目をいつまでも覚えていた。

ミルヤが次にそのふくろうを見たのは、三年後のことだった。ある夕方、知り合いの家までスカートの型紙を借りに行った帰り道、畑の中にぽつりと植えられた梨の木にふと目をやった。なぜそこを見ようと思ったのかは分からない。ただ、薄暮の暗がり、花の散った枝にまぎれて煙のように白い塊があり、そこからあの緑の目がじっと、すぐそこの家をのぞきこんでいるのを見た。

数日経ってその家の前を通ってみると、黒い喪服に身を包んだ人々がしきりと出入りしており、その家の誰かが亡くなったらしいと分かった。亡くなったのは、ミルヤがあのふくろうを見てから三日後のことだったそうだ。

また何年かして、三度目にそのふくろうを見た時、ミルヤはとっさにふくろうに向かって石を投げた。ミルヤには同じふくろうだと分かったのだ。あの底知れないぴかぴかと光る緑の目の色で。

納屋の屋根の上に止まっていたふくろうは音もなくはばたいて、苦もなく石つぶてを避けた。おちょくるようにすぐ近くの椎の枝に止まり、ミルヤなどそこにいないかのようにまた家のほうに顔を向ける。

ミルヤは別の石を拾って投げ、別の木に移る前にまた拾って投げた。ふくろうは悠然と翼を広げ、別の木へ移った。ミルヤは足元の石を拾いながらそれを追いかけて、再び振りかぶった。

その時、ふくろうの首がぐるりと回って、らんらんと輝く緑の目がミルヤを真正面から見据えた。

腕が震えて、投げた石は明後日の方向にそれた。今更、隠れ場所を探したって遅い。あのふくろうはミルヤを見た。

「……畜生!」

ミルヤはもう一度振りかぶって、思い切り石を投げた。石が届く直前にふくろうは飛び立ち、霞の翼をひるがえして森の方へ去って行った。

ふくろうが覗き込んでいた家の主人は、それから程なくして亡くなった。

以来、ふくろうが鳴くとミルヤはいてもたってもいられずに、家の外へ飛び出していくようになった。家の近くにあのふくろうが来ていないか確かめずにはいられなかったのだ。驚いたミルヤの父母は、怖れと不安を眉間に刻み込んだ娘をつかまえて、どうしたのか問いただした。ミルヤはふくろうのことを、石を投げたことを抜かして話した。すると、父母は顔を見合わせて、「父さんも母さんもこんなに元気なんだから」と言ってミルヤを慰めようとした。

「サンチャのおじさんだって元気だったわ。亡くなる三日前まで酒場で冗談を言って笑ってたのよ」

明日か、明後日か。あのふくろうが来て、この二人のどちらか、あるいは両方に永遠に会えなくなるのは。そう思うと、ミルヤは涙が出てきて止まらなかった。

「どんな悪人があんな魔物を呼び出したの?私は絶対に許さないわ」

そう言って泣く娘の頭を撫でながら、母親はゆっくりと諭した。

「でもねえ、死ぬのが私たちなら、私たちはまだ幸せだよ。お前ね、やっとお婿さんを探すような年になったお前を見送るようなことになってごらん、私たちだって生きてなんかいられない。だからね、もうそんな恐ろしいものには触らないでお置き。後生だから、ね?」

「そうだ、下手に関わって祟りがあったらどうする。放っておけ、放っておけ」

父親もそう言って頷いた。それを聞いたミルヤは、泣き止むどころか、さらに涙を流さずにいられなかった。

翌日、ミルヤは村外れに住んでいる猟師の家を訪ねた。もし、あのふくろうがミルヤの家にやってきたら、弓矢で緑の目を射ぬいてやると決めたのだった。

話を聞いた猟師は、渋い顔で首を横に振った。

「そりゃきっと森の精霊だ。わしらの領分の外にあるもんだよ。あんたも関わらない方がいい」

「だったら、私に弓矢を教えてよ。私が自分でやるわ」

「万が一、あんたがその精霊を射落としたとして、わしらがその技を鍛えたと知れたら、わしらにも累が及ばないわけがない」

ミルヤはそれを聞いて、宥めたりすかしたり、泣いたり怒ったりしてみたが、猟師はがんとして彼女に弓を教えるとは言わなかった。それどころか、弓矢の作り方や、古いものを譲ってくれることすらしなかった。

「弓も矢も、ここらのものは使わないでくれ。わしらが射たものと思われたら迷惑だ」

猟師はそう言って、冷たくミルヤを追い出した。

「何よ、意気地なし!あのふくろうがあんたの家に来たって、私は射ないわよ」

「それで結構!」

ミルヤが立て切られた戸に向かって叫ぶと、そんな答えが返ってきた。

「男なんて年を取ると腐った牛乳より始末が悪いわ。ふだんは威張り散らしているくせに、肝心の時には布団をひっかぶって震えてるんじゃないの。体面だの筋だのってどの口が言えるのよ、恥知らず!まるで股間にバカ肉がついただけの女じゃない。臭うし、かさばるし、気が利かないだけタチが悪いってもんだわ、忌々しい!ええ、出てきて否定して見せたらどうなの?あんたの弓も矢もいらないわよ、どうせヘニャヘニャで役にたちゃしないに決まってるわ。自分のすね毛をむしって襟巻でも織ればいい」

戸口の前で地団太を踏んで、耳まで真っ赤になりながらこれまでで一番というくらいの悪口を吐いた。それでも猟師が出てこないことを知ると、ミルヤは憤然と踵を返した。そしてまさに戻ろうとした道に、肩を震わせてお腹を抱えながら笑いをかみ殺している青年を見つけた。

今のを聞いていたか、などと聞くまでもない。ミルヤは今この瞬間にふくろうが来て自分を殺してくれたらと思った。

青年は職人風の青い上着を着ていて、クセのある髪は麦わら色をしていた。顔にはそばかすが散っていて、目は懐っこい犬のように好奇心が強そうだった。魔石匠の内弟子をしているアラミスだ。ヒヨドリのように陽気で、カードゲームがうまく、大地の神秘を扱う魔石匠よりは商人の方が向いていると巷では言われている。

「何でこんな所でそんな暴言を吐きまくってるの?ミルヤにあんなことが言えるとは知らなかった」

アラミスは目じりににじんだ涙を指で拭きながら訪ね、ミルヤは仕方なく事情を説明した。

話を聞くうちに、アラミスの顔からにやついた笑いが消えた。ふくろうの目の色や大きさ、飛び方について細かく質問を挟んだ後、まじめな顔で腕を組んだ。

「それは、魔石かもしれないよ。エメラルドは予知を授けると言われてる。幸福を運ぶ石でもあるから、たいていは予知というより、賢い選択をする力なんだけど……」

「魔石?ってことは、あれを使っている誰かがいて、造った誰かがいるのね?」

ミルヤはそれを聞いて色めきたった。あのふくろうが魔石の精霊である晶華なら、ふくろうを退治しようとしても意味はない。それを使っている人間をどうにかしなければ。そして人間ならば、ミルヤにだってどうにかできる可能性があった。

「そういうことだね。ふくろうを捕まえれば、持ち主を探すこともできそうだ。ミルヤの言うくらいの大きさの晶華なら、よほど大きなエメラルドに違いないよ」

「なら、私はあのふくろうの持ち主を捕まえてとっちめてやるわ。こんな怖い思いをさせられて、ただで引き下がるものですか」

ミルヤが腕まくりをして息巻いた。アラミスは考えるように目を泳がせて、口を引き結んだ。

「それ、手伝わせてくれない?魔石が絡むなら俺も興味がある。どうせ君、そのエメラルドを捕まえたって、手元に置いとく気はないだろ?」

「願ったりだわ」

ミルヤは快諾して握手しようと手を出しかけ、途中でしゅんとその手を下した。応じる気で手を出そうとしていたアラミスは、手のやり場をなくして仕方なくくるりと仰向ける。

「どうしたの?」

「いつどこに現れるか分からないのよ。ついこの前、見かけたけど、それより前に見た時から一年以上経ってる」

それを聞いたアラミスは、悪巧みするようににやりと笑い、手に持っていた布の包みを開いた。

布にくるまれていたのは、掌に乗るくらいの犬の形のマント止めだった。ほっそりとした鼻づら、逞しい脚、ブチのある立派な猟犬だ。犬自体は鈍い色の金属だが、首輪は冴え冴えとした真夏の空のように青い石でできていた。

「今日はこの魔石を届けに来たんだ。でも実は、今日届けるなんては言ってない。ちょっと力を借りようじゃないか。なあ、トロット、新しいご主人様に獲物を持って会いたいだろ?」

アラミスがそう言うと、ぱっと首輪から火花のようなものが飛び出した。のぞき込んでいたミルヤは驚いて体をのけぞらせる。そしてふと気づくと、アラミスの足元に、彼の膝より背の高い犬が舌を出して座っていたのだった。

「我々の肉を人間が食べることはできない。アラミスは石を食べるのか」

犬が口を開けてしゃべった。

「晶華って喋るのね!」

ミルヤが驚いて口をはさむ。犬は得意げに顎をあげて目を細めた。

「しっ!」

アラミスは猟師の家の方に目配せをして、犬とミルヤを連れてもと来た道を引き返した。

二人は夕飯の後に待ち合わせることにして別れ、かくて、夕暮れはやってきた。太陽の女神の歩みは冷酷なほど早く、西の空にわずかな裳裾がなびくのみ。振り向けば、東の空は魔物の口のように深い闇へ落ちていくところだ。空のすべてを照らすには、星の光はあまりにも小さい。カラスもハトも最後の会話を交わして巣へ飛び去り、夜が来ようとしていた。

晶華犬のトロットを連れて森に入ったミルヤとアラミスは、鳴き声を頼りにふくろうを探した。ミルヤは明かりを、アラミスは自分の弓矢とナイフを持っている。トロットは二人の周りを探りながら歩き回って、あたりに危険な獣がいないことを確かめてくれていた。

静かにしていると、何が飛び出すとも知れない闇が恐ろしいが、喋っていてはふくろうは鳴かないかもしれない。しばらく、聞こえるのは互いの足音と、繁みを踏み分ける足音ばかりだった。

ふくろうの鳴き声を聞くたび、二人はその姿を探してあたりの枝を見回した。近くにいれば、トロットが根本まで行って吠えたてた。しかし見つかるのは、森に普通に見られるものばかりで、白いふくろうは見つからなかった。

「腹減ったな。弁当を持ってくれば良かった。今日の夕飯、ウサギのシチューだったんだ。本当は塩をケチっとかないといけないんだけど、削ってる途中で間違って塊を落としちゃったもんで、これがまた、うまくてさ。おかみさんに大分怒られたけど、またやるかもしれないな」

すっかり日が暮れ、枝の間に月が見え始めたころ、アラミスが枝をかき分けながらそんなことを話し出した。歩き疲れてきたミルヤは、立ち止まってため息をついた。

「今日はもう帰りましょう。私もお腹がすいたし、帰りが遅いからってキーナの家に迎えに行かれたりしたら大変だわ。私、キーナの家に行ってくるって言って出てきたの」

「そこに二人で出くわしたりしたら、もっと大変だ」

アラミスも賛成したので、二人は村へ引き返した。

伸び始めた麦畑の向こうにミルヤの家が見えてきて、道が別れた。片方はミルヤの家へ行き、もう片方は村の中を通り抜けて隣村へ続く。魔石匠の家はどの村からも離れた道の途中にあった。帰り着くのはかなり遅くなるはずだ。ミルヤが送ってくれたアラミスにお礼を言うと、アラミスは当然のように「また明日」と言って手を振った。

その背中を見送っていると、トロットが途中で不意に立ち止まった。続いてアラミスも立ち止まる。何かと思って見ていれば、そろそろと近くの木のそばへ寄って行き、ランプを置いて手早く弓に弦を張った。

あのふくろうがいた。井戸にかけた屋根の上に止まっていた。緑の目は閉じ加減で、眠たげに首をすくめていた。

ミルヤもそれに気が付いて、スカートの裾を握りしめた。アラミスは木の陰に隠れたまま、じりじりするほど慎重な動作で静かに矢をつがえる。トロットは姿勢を低くして井戸に忍び寄っていた。

びしっと弦が鳴って、矢が風を切った。その音と同時にふくろうは飛び立ち、抉るような軌道でそばにあった樅ノ木の枝へ移ろうとした。高度が下がったところに、トロットが飛びかかる。ふくろうは間一髪でそれを交わしたが、地面すれすれまで高度が落ちた。羽根が地面を打ち、速度が鈍る。そこへ第二の矢が飛んだ。

パリンと不思議な音がして、アラミスの矢がフクロウの目を見事に射抜いた。

そう思った瞬間に、ふくろうの姿は掻き消えてしまった。

快哉を叫んだミルヤとアラミスは、奇妙なできごとに驚いて樅ノ木の下に駆け寄ったが、ふくろうは影も形もなくなっていた。

翌朝、明るくなってから周囲を探すと、繁みの中に刺さったアラミスの矢が見つかった。矢には血の痕もなく、ただ、見事な銀細工の輪が引っかかっていた。

「眼鏡だ」

しげしげと細工を眺めて、アラミスが言った。金と銀の針金を撚り合わせて縞模様を作った二つの輪が、嘴のような尖った金の飾りでつながれている。矢はちょうどそのレンズの部分を射抜いたのだった。無事な方のレンズは、ふくろうの目と同じ色のエメラルドでできていた。

「これを使っていたのは誰だったの?」

ミルヤが尋ねる。アラミスは、眉間にしわを寄せて首を傾げた。

「俺には分からない。晶華が自分自身の魔石を持って移動するなんて聞いたことがないよ」

「野生の魔石ってこと?そんなことってあるの?だって、魔石なんて、魔石匠が注文を受けて造るものじゃない。必ず持ち主がいて、造られた目的があるはずでしょう?」

「まさしく」

それだ、と言うようにアラミスがミルヤを指さした。

「でも、野生になんかなれるはずない。晶華は喋るけど、人間に言われないことは決してやらないものなんだよ。そうするって意志がないんだ。だから逃げ出すとか、野生化するなんてあり得ないんだ」

「気味が悪いわ。じゃあ誰の意志でこの晶華は人を殺して回っていたっていうの?」

「…………師匠に見てもらおう。これは俺の手には負えない」

二人は割れたレンズのかけらを探せる限り拾い集めて、魔石匠の家に向かうことにした。

魔石匠のトリゲンは、ミルヤとアラミスの説明を聞いた後、筒形の拡大鏡とろうそくを持ってきて、丹念にふくろうの眼鏡を観察した。初老に差し掛かった魔石匠の顔に好奇心と、驚きと、賞賛とが次々に現れて、最終的にはどこか痛ましげな神妙さに行き着き、拡大鏡の中の世界から戻ってきた。

「これは、スカロマリアの遺産の一つだろう」

トリゲンはため息まじりに、つぶやくようにそう言った。

「スカロマリア?その人があのふくろうをけしかけていたの?」

立ち上がらんばかりの勢いのミルヤに、トリゲンは落ち着けと言うように手を上げる。

「この魔石が死を招いていたのではない。これは、死を予知する魔石だ。スカロマリアは故人だよ。十なん年か前には亡くなっていただろうと言われている」

「師匠、主人が亡くなっても晶華は命令を守るものなんですか?」

「失礼ですけど、間違いないんですか?」

次々と質問をしてくる若者たちを、悲しげな目で見やって、トリゲンは深くため息をついた。それを見て、二人は口をつぐんだ。

「間違いはないとも。私はあの人に憧れて魔石匠になったんだから。あの人の結晶をいくつも見て、研磨痕のクセや結晶配列の特徴から何とか技を盗めないかとあがいたもんだ。誰かに物を教えるような人ではなかったのでね。それに魔石匠が死んだ後まで働き続けるような晶華を作れるのはあの人くらいなものだろうよ。実際、あの人が最後に住んだ家はそういう魔石でいっぱいだったというし、東の荒地≪セグ≫まで行くと、はぐれた魔石が迷い出てきたって話しはよくあった。……愛による幸福と知恵と、新しい始まりを意味する石から、死の予知なんて力を引き出してしまうのも、あの人くらいなものだろうよ。壊れてしまった以上、もう二度と飛ぶことはないだろう」

トリゲンはそこまで喋り終えると、ふくろうの亡骸を布でそっと包んで、大切なもののように戸棚に片付けた。

「スカロマリアって人は、いったい何のためにあんな魔石を造ったのかしら」

帰り道、消化不良のような気分をひきずって、ミルヤは呟いた。横には猟師に今度こそ届け物をするついでにミルヤを村まで送ると言って、アラミスがついて来ている。

「素直に考えるなら、自分の死期を知りたかったんじゃない?」

「酔狂だわ。私、いつあのふくろうが自分の家に飛んでくるかって、本当に気が気じゃなかったんだから」

「そうだね。見えないものは、見えないなりの理由があって見えないんだと思うよ」

のんびりとそんなことを話しながら、二人は道を歩いて行った。行く手は緑の燃える丘があり、村の放牧地でいつもの通り、牛や羊が平和に草をはんでいた。