流星譚

1.時は来ぬ(1)

赤い時告星がしずむ。

夜の初めにのぼったラビスが海に隠れるのとほぼ同時に、東の空にはミトリスが現れる。ミトリスはラビスの足跡を正確にたどって、日の出とともに姿を消す。サマリ人に伝えられる神話によれば、蒼白なるミトリスは真紅なるラビスを殺すために追いかけているのだという。

いつもと変わらないラビスの歩みを見届けて、リフェイル=アルシアは窓から体を離した。細い桟の走る狭いガラス窓いちめんに散っていた星明りは消えうせて、窓の前に立つ少年の姿に取ってかわられる。ガラス自体が歪んでいるので、映った姿も歪んでいた。三日月のように細い体、泣き出しそうに眇められた目、波立つ口元。肩まである黒い巻き髪は背景に溶けてしまっている。

その形を直視しないようにして、リフェイル=アルシアは窓に背を向けた。

中央に天蓋つきのベッドが据えられた部屋は、たった一本の蜜蝋には照らしきれないほど広かった。壁のどの面にも、高い天井から床までタペストリーが垂らされ、細長い窓の上下さえ、その面に合わせた大きさのものがかけられている。不意に揺れるあわやかな明かりのもと、さまざまな色糸で縫い取られた登場人物たちは、薄闇のとばりの向こうでそぞろくかに見えた。

そのような幻の中、敷き詰められた毛皮の上を一歩、二歩と歩くごとに、リフェイル=アルシアも闇の中に溶けてしまいそうな危うさがあった。もし窓の外が中庭にでもなっていて、誰かがその姿を垣間見るようなことがあったら、ちょっとした幽霊騒ぎが起きたかもしれない。

何より彼を人ならぬものに見せているのは、まるで生気のないその目だった。色さながらに夜の底をのぞくようで、十四歳という年齢にふさわしい表情はどこにもない――生意気さ、好奇心、むっつりとした不機嫌さすらも。

そんなものは、彼の生活には不要だからだ。

部屋のすみの燭台にあった蝋燭を手燭に取って、リフェイル=アルシアは寝室を出た。次の間には誰もいない。本来の身分からすれば、従者が不寝番をしていても良いのだけれど。

絹地のすれる細い音だけを道連れに沈黙を横切り、闇だけがわだかまる居室と取次を通り過ぎて、細長い廊下へ出た。彼に許された最後の空間だ。

蝋燭の炎は磨き上げられた石の床にうつり、両側に連なる円柱に誘い込むような陰影を躍らせた。絹の室内履きがひたひたと音を添える。突き当りは壁になっていた。そこに、こちら側からは決して開けることのできない扉が隠れていた。

彼は囚人なのだ。そして今は、その扉を開いて入ってくるはずの死神を出迎えに来たのだった。

いつかは来るだろうと思っていた日が来たというだけの話しだった。望むとしたら、あまり苦しまない方法を選んでくれれば、というくらいだ。毒が良いだろう。彼の毒見役をつとめていた少年を殺したような。

そんな考えを弄びながら、無意識に震える手を胡乱な気持ちで見やることに、一抹のかなしさはある。けれど、取り乱したり逃げようとしたりするには、過ごした月日が長すぎた。

あいついだ両親の死と、彼自身を殺そうとする試みは、幼い心を圧し拉いだ。誰の目にも触れないこの場所に彼を幽閉したのは、父の弟にあたる人物だ。

何よりもぬくもりといたわりとを必要とした時に、与えられたのは牢獄。窓辺に立つ彼を見て、その存在に気付く者がなぜいないか――それこそ幽霊か、鳥や星くらいのものだからだ。天の浮島である《天台》の辺縁に位置する砦の、空に面した部屋の中をうかがえるのは。

ここには、問うて答える者なく、泣いて伸べられる腕なく、また何かを求められることもない。

そうしてただ独り、ひたすら時と対峙するうちに、人懐こくほがらかだった子供は影をひそめた。削り取られて顔を失い、いつしか川岸の小石のように滑らかな、冷たい骨となり果てていた。身の安全のためだという言葉を信じていたのは、いつまでだっただろうか。

三年間の幽閉生活の終りを教えてくれたのは、いばらだった。顔も声も知らないけれど、いつも部屋のどこかに秘密の手紙をしのばせてくれた人。彼女の言葉を信じて、リフェイル=アルシアは真夜中に、死の訪れを待っている。

気付くと、呼吸の音すら耳につく静けさの底に、規則的な乱れが忍びこんでいた。交互に踏み出される靴の音。

その時が来たのだ。