宮廷魔術師が王国の窮地を救うこと

涼しい秋風が、開け放たれた窓へ枯葉のにおいを運んできた。お城で最も高い位置にある窓からは、ひつじや牛が丘の上でのんびりと草を食んでいるのが見下ろせる。巻き取られる前の綿あめのような雲がやわらかくまとわりついている青空に、ヒヨドリの高らかな歌が響いていた。

秋風が入り込んだ静かな狭い室内は、どこを見てもうずたかく本が積み上げられていた。それが知識そのものの振る舞いに倣うように、明かりを嫌って影を作っている。

ホコリの積もる音すら聞こえそうな静けさがその部屋の主だった――――時に、不在がちながら。

「魔術師どのー!魔術師どのー!!」

慌ただしい足音とともに、そんな叫び声が近づいて来た。窓際のわずかな隙間に収まっていた青年は、何事かと顔を上げる。今度はどんなバカなことが起こったのか、と。

「魔術師どのー!!!」

大音声と共に力いっぱい開かれた扉は、壁にぶつかって跳ね返り、恐ろしい勢いで再び閉じた。扉を開けたのが誰だったのか、見しやそれとも分かぬ間に。

いや、青年には声だけで誰が来たのか分かっている。王妃の近衛をつとめるガーネットだ。半径三メートル以内で聞いたら鼓膜を破られかねないこの声は、日々こうして助けを求めて叫ぶことで鍛えられている。

扉はすぐにまた開かれた。

そしてまた跳ね返って閉ざされた。

「魔術師どの!なぜこのような意地悪をするのですか!入れてください、一大事なのです!」

悲痛な叫びとともにまた開かれた。そしてすぐ閉ざされた。

「うるさい、いい加減にしろ!!」

青年が本を閉じて叫ぶ。四度目の不毛な挑戦がなされる前に、部屋をつっきった青年、こと魔術師ベインがドアを開けた。

開けた瞬間、燃えるような赤毛の娘がベインの胸倉をつかんだ。目を奪うのは、見事なエメラルドにも似た大きな緑の瞳。

「あなたという人は!国家の一大事にこんな悪ふざけをする人がありますか、この石つぶしの陰険モヤシやろう!お願いですから王様を助けてください!」

「言ってることとやってることが一致しないんだよ、何しに来たんだアンタ!?」

あまりの声量に聞いている方はタライで殴られたような感じがする。ベインはくらくらしながら胸倉の手を払った。かわいいのは見た目だけで、ベインはかねてその背中に「触るな危険」と張り紙をしているが、すぐに剥がされてしまう。まったく、困ったものだ。

ガーネットはびしっと背筋を伸ばして、これ以上なく真剣な面持ちで、用件を述べた。

「王様の薬指が王冠から抜けなくなりました」

「は?」

思わずベインが聞き返す。ガーネットが再びその襟をつかんで彼の頭を引き寄せ、それまで以上の大音量で叫んだ。

「王様の薬指が王冠から抜けなくなったのです!」

「でーっけえ声出すなィ!!聞こえとるわい」

「では何故聞き返すのですか!!この陰険モがもが」

片手で耳を塞いだベインが逆の手でガーネットの口を塞いだ。大声比べをしたら、間違いなくベインが負けるのである。

「わかった、俺が悪かった。まず聞くが、王様の手には薬指がいったい何本ある?」

「バカを言わないでください、王様の薬指は一本に決まってます。抜けないのも一本です」

バカにしきった顔でガーネットが答えた。ベインはこめかみの血管にうずきを感じるも、拳を握りしめてこらえた。

「ほお。じゃあ何人で薬指を突っ込んだ?なぜそんな所に薬指を大量投入する必要があったんだ?俺の記憶が正しければ王冠ってのは頭に乗っけるものなんだが」

「誰がこの国の王冠だなんて言いましたか?ネズミの国の王冠ですよ、今まさに国賓として王様をお迎えしているネズミの国の!」

ガーネットが地団太を踏んだ。理不尽なことこの上ない。何故そんなものに国王が指を突っ込むことになったのか、聞きたいようで聞きたくなかった。実際、ベインは他国へ移住することを考え出していた。

「王妃様のご命令です、早く助けてください!王冠を奪ったなんて思われたら、ネズミの国と戦争になります。ネズミの国を失ったら、我々はどこで夢を見れば良いのですか?!」

「戦う対象が予想外なんだが……」

やれやれと首を振って、ベインは部屋の中に引きさがる。彼には文献が必要だった。積み重ねられた本の山を動かし、崩し、とうとう一冊の本を見つけ出す。

掌に乗るほどの薄い冊子だった。表題はこの国にはない文字で書かれている。角が傷んでいるのは古いせいではなく、全ページに渡ってパラパラ漫画が描いてあるせいだ。しかも前後両方から。

ベインは目次を開いて目的の章を探してページをめくった。

「魔術師どの、パラパラ漫画なんか見ている場合ではありませんよ!」

「食いつくなよ!絶対来ると思ったけど!字数オーバーしたらお前のせいだぞ」

「ワタシニホンゴワーカリーマセーン」

大真面目な顔でサルの手真似をするガーネットを、ベインは鉄の自制心で無視した。付き合っていたら脳みそがいくつあっても本など読めやしない。無視されたガーネットが床で「の」の字を書いているのも構わず、知識の書を読み進める。

やがて、目的の情報を手に入れたベインは本を閉じた。察したガーネットが「の」の字をやめて背筋を伸ばす。

「王を救うには魔法薬が必要だ。ヤギの脂とブナを燃した灰、それから軽石と古い鍋を持ってこい。作業は厨房だ!」

ほどなくして、厨房に言われた通りのものが準備された。料理人たちが迷惑そうにする中で竈を一つ占領する。

ベインは鍋で用意された獣脂を溶かして、水に溶いた木灰を加えてかき混ぜた。ほのかなアルコールの香りとともに、何やら白っぽいつぶつぶが浮いてくる。表面がすっかりつぶつぶに覆われた頃に、火からおろして、ガーネットに作らせておいた特濃の塩水につぶつぶを放り込む。さらに撹拌するうちにつぶつぶはカサを増し、白っぽくなった。

できあがった物をよく水で洗い、お握りのように形を整えて、ガーネットに渡した。

「これが今回の魔法薬だ。これを少しずつ水に溶きながら王様の薬指にこすりつければ、指輪は外れる」

「おお、魔術師どの、さすが!ただの陰険モヤシではない!」

ガーネットが恭しく頭の上に石鹸を捧げる。

「ただし!」

ベインは鋭く付け足した。

「王が王冠を外そうと試みている間、大臣と王家に仕える近衛たちは、王を囲んで尻文字を書きながら『サラモクーナ、メシモクーナ、デブハタカギブー!』と唱え続けねばならん」

「了解しました!広いスペースが必要ですね。鏡の間にお集まりいただきましょう」

ガーネットは輝くような笑顔とともに、敬礼して踵を返した。そのまま、脱兎の勢いで厨房を飛び出そうとし――

「って、魔術師どの!」

入り口の前で振り向いた。

「さすがに気付いたか」

「尻文字もその呪文を書けば良いのですか?!」

逃げる準備をしようとしていたベインは、一瞬言葉に詰まった。

「…………ああ」

「分かりましたっ」

敬礼する間もあらばこそ、燃えるような髪を翻して駆け去る後姿を見送り、ベインは決意した。

後でこっそり覗きに行こう、と。