賜福者について 02

それから長い年月が経ちました――幼かったわたしにとっては。けれどそれは、一族の里にいるおとな達には、あっという間のことだったのかもしれません。

わるい時代でした。それが分かるようになったのは、気が遠くなるほど後になってのことでしたけれど。

そのころ、おとな達は夜中によく集まって、むずかしい顔で長いこと話し合いをしていました。でもそれを、わたしには隠そうとしていました。だからわたしは、知らないことにしていました。ほんの十二歳の少女に、なにができたでしょう?なにも知らないことにして、おとな達が「そうあって欲しい」と願うように、わらっていること以外に。

それに、里には相談することができるようなほかの子どもがいませんでした。わたしと一番年が近かったのは、九つ上のサーリクでした。最初からいなかったわけではありません。みな、死んでしまったのです。

サーリクの赤ちゃんは、お産のときに奥さんといっしょに亡くなりました。サーリクのお兄さんとその家族は、馬車の暴走にまきこまれて亡くなりました。おとなりのモリアの息子たちは、ある日、森へたきぎを取りに行ったまま帰りませんでした。たった一人のこったエマは、熱病が里の井戸をよごした年に。ほかに何人も死者を出した、それはひどい病でした。

熱病を生き延びたわたしのことを、おとな達はみな、運の強い子といいました。わたしは里のみんなの娘でした。

わたしたちに、なにか罪があったのでしょうか。たびかさなる不運を耐え、子どもの成長をねがい、せいいっぱい生きようとしていた里の人たちに、なにか。

里のそとの人たちと、違うところがあったのでしょうか。

わたしたちは、自分たちのことを《賜福者》(カーヴィル)と呼びました。

そとの人たちは、わたしたちのことを《業魔の民》(ゴナクジラ)と呼んだそうです。

そとの人たちはけっして、わたしたちの見聞きし、感じるのと同じものを、とらえることができないのでした。月光のいろが一日たりとも同じでないのを、風のものがたりが季節ごとに変わるのを、そとの人たちは知らないのです。

わたしたちの技は、ひびきあうものをとり合わせて歌にすることに似ていました。里につたわるたくさんの《歌》は、人間の体やたましいに触れると、あたらしいひびきを生みだしました。

たとえば――

わたしたちの一族の守りの石である、オパール。

土の中で石になった貝は、波をやどしています。これを銀の浅い皿にしきつめると、そこに暗い地中の海ができます。そのおもては黒くしずんでいますが、のぞきこめば中でちらちらと光がまたたくのが見えるでしょう。

銀はものしずかで、うけざらに最適な金属です。礼儀ただしく扱うならば、おなじだけ礼儀ただしくしてくれます。そしてとてもかたくなです。だからこそ、何度でもくりかえし使うことができるのです。金もそうではありますが、金はとても騒々しい金属なので――

話しがそれてしまいました。地中の海には、はじまりの水をそそぎます。これは、7つの子どもが新年の朝にくんだ若水でなくてはいけません。ほかのものでは、オパールの光をさまたげてしまうのです。

しかし、水を注ぐだけでも足りません。オパールに宿る波を呼び起こすには、ヤドリギのこえが必要です。それも、新月の夜に芽ぶいたヤドリギでなくては。ヤドリギの枝を水晶のナイフで切り、それを撚りあわせて作ったヘラを使うのです。

ヘラを水の中にそっとさしこむと、ヤドリギのうたが水面をしずかに震わせます。まちがいなく材料をそろえることができていれば、オパールのきらめきがそれにこたえるでしょう。星くずのふりかかるような、その音。あれが聞こえないなんて、ほんとうに気の毒なこと。

オパールの中にあった波がさそわれるままにあふれて、若水ととけあいます。石はかたちを失い、やがて半透明のたおやかな白ととりどりの彩(いろ)が漆黒にむかってうずまくうつくしい水面があらわれます。

できあがった液はとてもあまく、舌の上をすべるようにまろく、それをていねいに淹れた香りの良いお茶にまぜると夢のような味わいになります。ひとくちでも含めば、飲み干すまでやめることはできません。オパールの波がわたしたちのたましいをさらうからです。

そしてその力は、飲んだ者に千年のねむりをもたらします。

なぜ、味を知っているか、ですか?それともなぜ、千年先までたしかめられない効果を知っているか、ですか?

――――言わなくとも分かることでしょう。

わたしは、真っ暗な墓所で目覚めました。