子供の領分

今年、八十五歳になる祖父が、自宅に引きこもってしまっている。

歯医者の仕事はもうずっと前にやめて、今は年に一度だけ、昔から診ている中学校の定期健診に行くくらい。趣味だったスケートも、近くのリンクが閉鎖してしまってからは行っていない。一番近いスケートリンクは車がないといけないけれど、免許は返上してしまっていた。

刺激が少なくなると途端に、という話しは聞いていたので、これは、と、胸の底がざわりとした。 七十を過ぎたくらいから耳が聞こえ辛くなって、補聴器をしてもあまり良くならないらしく、しきりと補聴器の調整をしていた。

「おばあちゃんの声くらいの高さが聞こえないんだよ。一番聞きたい音が聞こえないんだ」

と、茶の間で隣の祖母を指しながら訴えられても、私にはどうしてあげることもできない。案の定、年毎に少しずつ、かみ合わない応答が増えて来ていた。電話で様子を聞くとどうも、郵便物を取りに門のところまで行くぐらいしか外に出ない日々らしい。

祖母はその対応に苦慮しているようで、電話をすると「おじいちゃんはちかごろちっとも話しが通じない」とこぼしていた。

祖父の誕生日は、春のはじめの頃である。気候もよくなって、道々に目を楽しませてくれる草花も多い。連翹、沈丁花、雪柳、梅、桜と次々に咲いていく。外を歩けば足腰にも良いのではないかと思って、今年はステッキをプレゼントした。

家族の誰かの誕生日があると、一番近い週末に祖父母の家に集まるのがうちの慣わしだ。六畳の居間に、祖父母、母、婿に当たる父、兄、私の六人が集まって、掘りごたつを囲む。予定が合えば隣の市にいる叔父の家族も来るのだが、今年はちょっと出てこられなかったらしい。

チョコレートの誕生日ケーキを前に、皆からプレゼントが渡された。細長い包みからステッキが出てきた時、祖父はあまり嬉しくないような顔をした。

祖父は、歩くのがキライである。あんがい見栄っ張りなので、ステッキのような老人の持ち物なんか、ただ贈ったって使わないに決まっている。

「ちょっと立って、持ってみてよ」

と私は言った。祖父は末の孫娘に逆らえないので、笑顔でためらいながら立ち上がって、形ばっかり杖の頭に手を乗せる。ステッキは、よく売っているカラフルなものではなくて、英国紳士風の木のこしらえだ。

「お、いいじゃん、かっこいいじゃん。それにいつものベレー帽被ったらさ、絶対似合うと思ったんだよね」

すかさず褒める。祖父の頬が薄くピンクになった。

「長さどうかな。ちょっとその八畳のとこ歩いてみたら?」

「いやあ、大変、良い具合だから。もう持ってみただけで分かるから」

祖父は目じりを下げて、にこにこしながらそう言って、もう座ろうとする。

「えー、歩いて見せてよ」

「もう座っちゃうの?」

母の援護射撃もあって、祖父はしかたなしに、つーっと二メートルばっかり歩いて見せた。すかさずそれも褒める。よってたかって褒める。祖父ははにかみ笑いで目を伏せて、

「良いものを大変、ありがとうございます」

などと改まって拝んで見せたりして、その杖を受け取った。

その後は、遊びに行くたびに祖父を散歩に連れ出すことにした。祖父が杖を持ってくると、私は必ず褒める。すると祖父は、必ず祖母を振り向いて、「どうかな」と尋ねる。祖母はやや面倒くさそうに「良んでない?」と返す。

暫くすると祖父は、一人でも出かけるようになったらしい。

「もう、あんたが褒めるからすっかり得意になって、こっちがお皿を洗ってても、『どうかな』って言って呼ぶのよ。子供みたいに。こっちのやってることを見てーって言いたいわ。相手の都合が見えてないのよ」

と、祖母がグチを言う。確かに、子供のようだ。私も小さい頃、自分が何をするのも母に見ていて欲しかった。

祖父は、私のためなら黒いカラスを白くしてしまうほど私を可愛がってくれている。けれどその私の褒め言葉は、祖父にとってそれほど価値がないらしい。祖父は、祖母の承認をこそ欲しがっているのだ。

祖父にとってそういう相手が、祖母なのだ。祖母にとって価値がないなら、祖父は他の誰が祖父を必要としようと、必要のない人間になってしまう。祖父は祖母のためにある。

それを子供のようだと言うならば、大人には愛という感情はないのかもしれない。愛が子供のものならば、愛をなくしていくことを、あるいは隠していくことを、大人になると言うのだろうか。