キンポウゲの咲く道

みじめな帰り道だった。老女は厚ぼったい毛織の肩掛けを胸の前でかき寄せて、宵のつめたい春風を追い返した。

とおい昔に村を出た友人から久しぶりの便りがあり、一日かけて旅先のホテルへ訪ねていって、お土産に持たされたのがこの、へどろのような劣等感だった。

ホテルはきらびやかな電気の明かりで隅々まで照らし出されていた。入り口にはひっきりなしに車がつき、宝石や毛皮を身に着けた人びとがいくつもの鞄をかかえたボーイを従えて出入りしていた。ホールでは絹のかろやかなドレスをまとった人たちが、くちびるでも割れそうなほど薄いグラスで掲げるだけの乾杯をしていた。柱という柱、窓の桟にまで彫刻がほどこされ、壁には絵が、床には色石で模様が。

どれも、彼女の家にはない。

彼女の家には、こんな時に乗り回すせるような乗り物もない。だから汽車の駅から近くまでは、通りすがりの農夫のろばが引く荷車に食料品と一緒に載せてもらった。そのあとは、湿気がくると痛む足をひきずって、でこぼこの道を躓きながら歩いている。

確かに彼女の息子たちはきちんと学校を卒業して職につき、つましくともそれぞれの家庭を持っている。けれど、それを誇らしく思っていたのが、愚かなことに思えた。村で一番の刺繍上手だった母が刺した肩掛けのバラの花は、色褪せてほつれていた。

いきなり吹き付けた強風に、老女は立ちすくんだ。

目深にかぶっていた帽子のつばがバタバタと暴れて、しわだれたまぶたを叩く。

「あっ」

ハットピンが外れて、帽子が頭から狂ったように飛び去って行った。

風がやんだ。

帽子は道をはずれて、野原のなかにふわりと降りた。

いちめん萌黄色の草原に、ぽつりぽつりと黄色いキンポウゲの花が咲いていた。

われがちに茂る他の草のあいだで、風で折れそうなほど細い茎を懸命に延ばしていた。枝分かれした一本ずつの先に、小指の爪ほどの小さな花を咲かせる姿は、何とも雑草然としてけなげだった。

この花は、貴婦人のドレスのような八重の花弁を見せびらかすことはできない。みずからの死まで惹き寄せるほど芳しく香ることもできない。

しかし、その色は。

光の色だ。さらさらと流れる水のように、ただ飽くこともなく咲き出でて、踏まれても立ち上がり、摘まれてもまた花をつける――その営みの中に宿る色だ。

朝日も夕日もこの色にはなれない――もっとささやかでありふれたものだけが、この色を世界に投げかける。

一つ一つは小さな花、緑の中に散った点に過ぎないものが、目を上げれば、光の波を織りなしていた。そよ風に揺られて、手招いているのか、手を振っているのか。

その中を貫く一本の道の向こうに、見慣れた緑の丘があり、彼女の村があった。丘を見守る夕空は優しく、たおやかな薄紫色をしている。満ち足りない白い月が、眠たげに木立の上に掲げられていた。影を深めた家々の灯が親しげな挨拶のようにまたたいていた。

いつでも、あそこへ帰って行くのだ。

くだらないものなど何一つない。

この道を通って、彼女は行くのだった。