「これも廃棄だな」
頬杖をついてじっとディスプレイに見入っていた初老の男性は、溜め息とともにつぶやいた。
「なぜ?」
その膝によりかかって一緒に画面を見ていた男の子が、父の顔を見あげた。男性はすこしのあいだ言葉をさがしてから答えた。
「人間の脳にあたる部分に傷がついてしまったんだよ」
節ばった指がかるくマウスのボタンをたたくと、廃棄の欄にチェックが入る。男の子は大きなディスプレイに並んだ色とりどりのグラフや表がなんのためのものか知っていた。右のはじに写真がふたつ表示されている。全身がわかるものと、肩から上をうつしたものと。
「治らないの?」
そう尋ねたとき、男性は設定を保存してファイルをとじた。たぶんそれと同時に、ガラスの線をつたった光のまたたきがあの人造人間をゴミ部屋に送るだろう。
「直すのには時間もコストもかかるのでね。見なさい、あの中庭の地下にある装置から新しいのがつぎつぎ生まれるのだよ。だからわざわざ直す必要もない」
男性はなにげなく息子の肩を抱いて、反対側にある大きな窓に目をやった。窓のそとには青々とした草木と金属めいた光沢のタイルが人間にしかわからない説得力をもって共存している。
「そうなの……」
男の子はやみくもに父親の視線を追って、ちいさく答えた。男性はまた別のファイルをひらいて性能テストの結果を見はじめた。
「まだ技術が未熟だから使うに堪えないクズもできるが、それは廃棄すればいいだけのことだ。一万回も装置をまわせば、すばらしいものも生まれるよ。首相の護衛部隊をみなさい、彼らはみんな選りすぐりの素材を大事にいかして育てたものだ。世界中から高い評価を得ているよ」
「廃棄にお金はかからないんだ」
男の子は窓のそばへ寄っていって、ガラスに額をくっつけて中庭を見おろした。男性は備考の欄になにかを打ち込みながら考えている。
「産業廃棄物として燃やす分だけさ。これらは葬式もなにも必要ないから楽なものだ」
コンピュータを操作する音が断続的にきこえた。男の子はわずかのあいだ黙っていたが、ふりかえってぐるぐると部屋のなかを歩きはじめた。とくに意味もなく両腕をふりまわして、腕で風をきる音をだそうとする。
「タカくんのおばさんは割れたお皿をベランダーのねもとにいれるんだよ」
「ベランダー?」
男性は声に笑いをまぜた。
「あの紫のやつ。鉢植えになってるやつ。見たことあるでしょ」
「ベランダーじゃなくてラベンダーだよ」
男性はほほえみを浮かべながら、また一つファイルを閉じた。
「あとねえ、破れたスカートでエプロンを作るんだって」
男の子はべつに言いなおしもせずに続けた。男性はやっと息子が言いたいことを悟って、操作の手をとめた。やわらかい背もたれに寄りかかって、歩きまわる息子を視界のまんなかに捕まえる。
「人とものとはちがうからね。人造人間はね、なまじ人に近いぶん役割の書き換えが大変なんだよ。それに加工だって布や陶器よりもずっと大変だしね。瑕がついてしまったら専門の職人にまかせるか、廃棄しかない」
「人間といっしょなんだ」
男の子は反抗的に腕をふりまわしながら父親の視線を無視しつづけた。
「ちがうさ。じっとしなさい。どうした、だれかになにか言われたのか?」
「ちがうよ。ぼく考えてるんだ」
男性は心配と驚きとをないまぜにしたような顔で、笑った。いろいろな考えがその頭のなかでぶつかりあって飛沫をあげていたけれど、すぐに鍛えられた理性がその上に頑丈なフタをした。
「そうか?……まあ、たくさん考えなさい。考えるのはいいことだよ」
彼がまたディスプレイに向き直ると、その真後ろのあたりで男の子が足をとめた。ディスプレイには新しいファイルが開かれて、神妙な無表情をうかべた写真がひたすらに裁定を待っている。
「父さん、ぼくのことすき?」
父親が画面をほんの数秒ながめただけで廃棄のチェックをつけた瞬間、男の子はたずねた。父親はふりむいて、絶対の自信をもった顔で告げた。すこし恥ずかしげでもあり、誇らしげでもあり。
「それは、そうだ。おまえは父さんのなにより大事な息子だよ」
「うん」
男の子は予想のとおりだと言うように、冷静にうなずいた。それから何をつづけるでもなく、部屋を出ていった。男性はしばらく閉まったドアを見て思案していたけれど、やがて椅子をまわしてまたディスプレイを見はじめた。
生産ラインからはパーツがたりないものや、プログラムがうまくいかないものや、性能が低いものがうまれてくる。それらは廃棄され、ふりむかれることもない。価値があるとは、五体満足で、テストで良いスコアを出せること。
人造人間ばかりの部屋のなかに、一人だけ天然の男の子がまぎれこんでいた。この部屋に入るのはたやすい。何度も何度もテストされて、天然の人間社会になじめることが確かめられた固体が保管されている部屋だから、この開発所に入れる人間であれば、誰が入っても問題ないと思われている。
男の子は壁ぎわに腰をおろした状態で休止していた固体にゆっくり近寄った。天然の人間が近づくと自動で電源がはいるのか、それはまぶたを上げて彼を見た。
「ステイ」
男の子がいうと、それは動かなくなった。男の子はそれの首の後ろに手をまわして、電源を切った。目がなめらかすぎる動きで閉じられて、ごくごく静かにモータの動く音が消えていく。男の子は肩口にある取り外し用のスイッチを押して、左肩をスライドさせた。人口筋肉を制御している配線があらわになり、それに埋もれた金属の関節も分かった。男の子は胴体に足をつっぱって、思いきりそれの腕を引っぱった。
一度では何も変わらない。くりかえしくりかえし、配線がちぎれて、結合部の金具がゆがんで、腕が取れてしまうまで引っぱった。不正な手順で解体が行われていることを示すアラームが、冷静な悲鳴のように鳴っていた。
「だいじ」
男の子は壊れた腕を見て、それが何に使えるか考えた。なにも思いつかなかった。
壊してしまった人造人間は、捨てられていった。
「なんてことをしてくれたんだ!」
父親が男の子の肩をつかんで揺さぶった。男の子は泣いていた。けれど何も言わなかった。
「なぜあんなことをしたんだ?良い素材だったのに。あれを育てるためにたくさんの人が手をかけて、時間をかけて、辛い思いもしていっしょうけんめいやっていたのに」
父親は声をおちつけて、男の子の肩を両手でつつんで、その目を見つめた。
「何をしたか分かっているか?おまえはその人たちの心をみんな踏みにじってしまったんだよ。それに、あれに助けられるはずだったたくさんの人も殺してしまったかもしれないんだよ」
男の子は涙のあいだから尋ねた。
「大事に、してたの?」
父親は熱をこめて答える。
「そうだよ、とても大事にしていたんだ」
「そうなんだ」
男の子は新しい涙をこぼしながら、一本調子につぶやいた。父親はまた優しい口調で彼を導こうとした。
「そうだ。大事なものをこわしたら、どうする?」
「…………ごめんなさい」
男の子は落胆したようにささやいた。父親はつとめを果たした満足感とともにうなずいた。
「そうだね。みんなに謝りにいこうね」
「はい」
従順な息子と手をつないで、彼は歩きだした。男の子は壁ばかり見ながらその後についていった。