檻の中の幸せな小鳥

昔むかし、あるところに、立派な森がありました。そのほとりには街があって、人々が畑を耕したり、商売をしたりして暮らしていました。

街外れの小さな家に、女が一人住んでおりました。森からツタを切ってきては、篭を編んで生計を立てている女です。

その女の家の前には、止まり木がしつらえてありました。そこにはいつも一羽の鳥がいて、それは美しい声で歌います。女がヒナから育てた鳥でした。遠い日に森の中で、獣に追われたのか怪我をして、巣も親鳥も近くに見えず、震えていた小鳥でした。今ではすっかり大きくなって、色の混ざり合った黒い羽もつややかです。

止まり木には檻もなにもありませんでしたが、鳥はけっして勝手に飛んで行ったりはしませんでした。

さて、ある寒い日、その年はじめての雪が降った次の朝のことです。枯れ草には雪がかぶさり、土の表も凍っていて、歩くとサクサクと音がしました。家の煙突からは、ゆらゆらと煙がたなびきます。

いつもと同じ静かな朝に、車輪の音が響きました。厚いカーテンの下がった立派な馬車を、ゆげの立つ四頭の馬が、白い息を吐きながら引いていきます。乗っているのは、このあたりの領主の息子でした。今年十一になったばかりの驕慢な少年です。この領地では、父上である領主の次に、その跡継ぎの彼がえらいことになっているのでした。

領主の息子は、馬車の窓から小さな家を見つけました。彼の部屋ほどしかない、みすぼらしい家でした。しかし彼は、その戸の前の止まり木に、見たこともない鳥がいるのに気が付きました。一見するとまっ黒に見えますが、朝日を浴びたその羽が、青や緑に輝いて見えました。

「あの家は何だ」

彼は馬車を止めさせて、召使に聞きました。召使は答えます。

「領内で最も貧しい者の家かと存じます」

召使は、この家を知っていたわけではありません。しかし、森のかく近くひっそり暮らしているのなら、きっと町から弾き出された賎しい者に違いありませんでした。

領主の息子はさらに尋ねました。

「あの鳥はなんと言う?父上の剥製の中にも見たことがない。なぜそのような者が、そのようなものを持っているのだ?」

これには召使も首をひねります。彼も、初めて見る鳥だったのです。

「煙が上がっております。家の者に聞いてまいりましょう」

召使はそう言って馬車を降り、その家へ向かって行きました。

召使は小さな家まで伸びた細い道を、霜柱を踏みながら歩いていきました。革の靴の下で、ザクザクと氷が砕けます。止まり木にいた鳥は、羽を逆立てて、まるで宝石の珠のようになりました。

召使が何気なく家の戸を叩くと、古い木戸は敷居まで一緒に揺れました。

「尊いお方の使いの者だ。ちょっと尋ねたいことがある」

少しして、中から女が顔を出しました。ぎくりとするほど細い、美しくない女でした。ほどけた黒髪はつやも張りも無く、日焼けした肌にはそばかすとアバタが散っています。

「どなたでしょう」

言葉が一瞬白く凍って、二人の間にただよいました。召使は赤くなった鼻を高くして、女を見下ろしました。

「私の主人が、そこの鳥に目を留められて、何という鳥か尋ねて来いと仰せになったのだ。あの鳥はどういった鳥かな」

「ただの鳥でございます。正しい名前は存じませんが、私はこれを春と呼んでおります」

女は答えて、鳥の方に手を伸ばしました。鳥はすぐに羽ばたいて、止まり木から女の手に移ってきます。そして一声、うららかな声で鳴きました。

「珍しいものか?」

召使は、しげしげと鳥をながめます。見れば見るほど、ふしぎな羽の色をしておりました。緑のような、青のような、時には黄色い部分もあるような。

「それほどでもございません。真冬のいっとき、森の奥にある沼に渡ってくるのでございます」

「そうか。ご苦労」

召使はひとつ頷いて、馬車へ帰って行きました。女は素足に薄着で戸口に立ち、その後ろ姿を見送りました。鳥は彼女の手にとまっています。

召使が馬車のドアを開けるなり、領主の息子が尋ねました。

「一体なんと言っていた?」

召使はかしこまって答えます。

「無学なもので、名を知りませんでした。ただ、冬の盛りに来る渡りの鳥で、春と呼んでいるそうです」

それを聞いて、領主の息子は考えました。冬の盛りはまだ先です。あの鳥は、渡りをしなかったということです。渡りをしない渡り鳥なんて、聞いたことがありません。彼は、そんな鳥を持っている女がうらやましくて、たまらなくなりました。

「あの鳥が欲しい。もう一度いって、持って来い」

彼は召使に言いました。召使は頭を垂れて、もと来た道を引き返しました。

女はまだ戸口に立っていました。むき出しの膝も、頬も、寒さで赤くなっています。けれど鳥がいる指先だけは、温かく血がめぐっているようでした。

召使はふたたび女の前に立って、腰の巾着を取り出しました。中では金属がぶつかる音がします。貧しい者には心惹かれる音であるはずでした。

「領主様のご子息が、その鳥をご所望だ。金を払うから、譲ってくれ。銀貨の1枚もあれば足りよう」

召使は言いました。女は召使を見上げて、やるせなく微笑みました。

「殿下はなぜ、私の鳥をお望みなのですか?」

女にそう聞かれると、召使は嫌な顔をして、自分の手を握り合わせました。寒くて早く馬車の中へ戻りたいのに、女が言うことを聞かなければ、彼はまた何度か家と馬車とを往復しなければなりません。

「お前のような者が貴人のお考えを知ろうなど、身に過ぎた考えだ」

「もうすぐ同じ鳥がたくさん渡ってまいります。何も私の鳥を奪わなくとも、そちらの方から好きなだけ、お連れになればよろしいのです」

女は鳥の背に指を滑らせ、言いました。荒れた痛々しい指ですが、鳥は気持ち良さそうに目を細めます。

召使は考えました。あるいはその方が、彼にとっても楽かもしれません。彼らは今、隣の領主の館まで、招待に応じる途中なのです。今、この鳥を連れて行けば、入れておく籠や、フンの始末を考えなくてはなりませんが、沼から捕まえてくるのであれば、彼の主も、まさか即刻、沼へ向かえとは言わないでしょう。

彼はいったん馬車に戻って、女の言ったことを伝えました。

領主の息子は、顔を赤くして怒りました。

「嫌だ!この役立たず、余はあの鳥が欲しいのだ。他の鳥では、冬が終わったら飛んで行ってしまうではないか。そんなものに価値はない」

彼は召使を押しのけて、自ら馬車を降りました。凍った土が、足元で砕けます。厚い外套をひきずって小路を歩いて行くその後ろを、召使が粛々とついて行きました。

女はまだ戸口で待っておりました。彼女の後ろの部屋の中では、暖炉に火が入っていましたが、あまり暖かではありません。壁には絵の一枚もなく、床にはほんの薄い敷物すらなく、ただ沢山の、空の籠だけが壁際に積んでありました。

「その鳥を譲り受けたい。他の鳥はいらぬ。その鳥をだ」

領主の息子は、女にはっきりと告げました。彼女は口の端で笑いました。ほんのわずかなことでしたが、領主の息子は、それを見逃しませんでした。

「無礼な。何を笑っている」

愚弄されたと思い込んで、彼は厳しく尋ねました。

女はまず、それに答えず、鳥を止まり木の方へ放しました。鳥は緑の翼をはばたいて、どこへも行かず、止まり木の上に行儀良くとまります。

「渡さないなら、この場であの鳥を殺してしまうから覚悟しろ」

領主の息子はそう言いながら、召使に目配せをします。召使は合図があればすぐにも鳥を捕まえられるよう、止まり木ににじり寄りました。

三人の白い息が、冷たい風に流れました。女はかなしげに鳥を見つめます。手放すのも殺されるのも、耐え難いことでした。

ややあって、彼女は名案を思いつきました。

「お待ちください、ご子息さま。私の話しをお聞きください。殿下はひとつだけ、誤解をしておられます」

彼女は冷たい地面にむき出しの膝をつき、領主の息子を見上げます。領主の息子は目をしばたいて、何を言う気か、彼女の言葉を待ちました。

「本当に価値があるのは、その鳥ではございません。その鳥が入った、鳥かごなのです」

女は止まり木を指さして、真剣そのものに言いました。領主の息子は何のことかと、目だけで召使に尋ねます。けれど召使も、首をひねって、お手上げでした。

「どういうことだ」

領主の息子が尋ねると、女はふたたび微笑みました。

「私は森に入ってツタを切り、かごを作って売っております。けれどカゴというのは日々、使うものでありますし、どんなに丈夫に作っても、しばらくすれば壊れてしまうものでございます。何でもそうでございましょう、目に見えるものというのは。

だから私は、目に見えないかごを編んだのです。これは心の鳥かごです。決して壊れず、本当に欲しいと思うものなら、どんなものでも閉じ込めておけるのです」

領主の息子はしげしげと、鳥の足元にある、古ぼけた木を見つめました。糞で汚れた、棒切れの組にしか見えません。

女はさらに言いました。

「私はあの鳥を、私のかごに入れました。だからあの鳥は、渡りをせずにずっとここにいるのです」

領主の息子は、腕組みをして考えました。しばらくじっと、考えて、にっこり笑って言いました。

「ならばそのかごを貰っていこう。そしてそのかごに、あの鳥を入れるから」

女は、頭を垂れて、ゆっくりと言いました。

「仕方ありません。お持ちください」

こうして領主の息子は、止まり木と鳥を召使に持たせ、馬車にかえって行きました。

その日の夕方、女が森から帰って来ると、家の前に、あの美しい鳥がおりました。女は微笑んで、鳥にむかって言いました。

「ようこそお帰り。新しい止まり木を作ってあげようね」

それから半月ほど経った日に、領主の息子の馬車が、ふたたび女の家の前を通りかかりました。馬車は小路の入り口で止まります。中から領主の息子が、たいそう怒った様子で降りてきました。口から吐かれた白い息が、まるで煙のようです。

召使が女の家の戸を乱暴に叩きました。鳥がその剣幕に驚いて、屋根の上に飛び上がったほどでした。

「どなたでしょう」

女は編み終わるところだったかごを置いて、戸口に立ちました。外は、氷が肌をこするような寒さです。頬と鼻を赤くした領主の息子が、彼女を睨んで立っていました。

「余を騙したな!お前の鳥は、部屋の窓を開けた瞬間に、止まり木から逃げてしまったぞ」

彼はそう言って、憎々しげに屋根の上の鳥を一瞥します。

女は微笑んで、領主の息子と目線を合わせるように、地面に膝をつきました。

「あなたがお持ちになったのは、鳥ではなくて鳥かごでしたわ」

領主の息子は、怒って女の頬を打ちました。

「違う、お前が嘘をついたのだ。あれは鳥かごなどではない、ただの薄汚い棒切れだったのだ!」

女はよろけて地面に手をつきましたが、怒ったり、怯えたりはしていませんでした。

「なぜ私のかごであなたのものが捕えられると思うのですか?あなたはご自分のかごを、ご自分でお編みなさい。そこにはきっと、鳥の方から入るでしょう」

彼女は立ち上がって、言いました。領主の息子の手は、もう彼女には届きません。彼は拳を握り締めて悔しがりました。

「お前もあの鳥も、父上に頼んで縛り首にしてやる!」

彼は叫ぶと、外套をひるがえして、霜柱を踏みながら、帰って行きました。

それから何年か経ちました。

森のほとり、街のはずれの小さな家から、高い空へ、煙が上がっています。家の周りの畑にはうっすらと雪がつもって、野菜の枯れた茎と葉を隠していました。凍てついた土から覗く氷の柱が、朝日に白く光っていました。

家の前には止まり木があって、そこには美しい鳥がとまっています。その鳥はどこへ飛んで行っても、必ず夕方は止まり木に帰って来るのでした。

領主の館の塔の窓を、一人の若者が開けました。暖炉の熱が壁の石のごとく積み重なった部屋の中に、冬そのもののような風が流れこみます。若者はほてった頬を風に当てて、白く溜め息をつきました。

眼下には冬枯れの庭と、領民の暮らす街と、その向こうには、深い森が広がっています。彼はそれらを見渡しながら、窓枠に軽く腰掛けました。

部屋の中は、静かでした。彼は、けして壊れない鳥かごと、渡り鳥のことを考えていました。あのとき彼の父親は、怒り狂っている彼を見て、おかしそうに笑っていました。全く取り合ってもらえずに、三日も四日もふくれたものです。

彼は今、目に見えない鳥かごと、その中の鳥のことを考えて、細くため息をつきました。手をついた石の冷たさが、指先までしんしんと染みました。