たがため 6

チロの父は、祖父のたった一人の息子だった。実際のところ、弟妹は何人かいたようなのだが、すくなくとも祖母が産んだのは一人だけだ。祖父が亡くなったとき、チロの父はその方面の後始末もすべてしなければならなかった。つまり、祖父の死と前後して、庶子を名乗る者が何人か、財産の分与をもとめて集まってきたのだ。

死の直前に、祖父が手紙を出したり、ことづけをしたりしていたらしい。だいたいは「死ぬ前に一目会いたい」という内容だったけれど、本当に間に合うと思っていたかどうかは疑わしい。チロの祖父は、そういう人だった。

一人だけ葬儀に間に合った男が、葬儀までの間ボーロイクの屋敷に泊まっていったことを、チロは覚えている。いやな男だった。チロや弟たちにつきまとって、「君たちはいいなあ。母親が正妻というだけで、貧しさも空腹も知らないんだ」と何度も何度もくりかえした。食事の前には「自分でつくった小麦のパンをやっと自分で食べられる」と言った。

しかし、その男が正妻の子ではないというだけで飢えたり苦しんだりしなければならなかったように、チロの父は正妻の子であるというだけで、祖父の引き起こしたすべてを背負わなければならなかった。

チロの父は、彼に言った。

「父が遺したのは、王の≪最良の馬≫が負うべきものだ。金品も土地も、預けられたあらゆる権利も、この牧にはぐくまれる馬と人とを守るためのものだ。何人も、その背の金銀だけを求めることはできない。コインの一枚でも受けるならば、駄馬として他のあらゆるものをも負い、旱けばみずからの血を絞ってうるおし、汚れればみずからの髪でそれをぬぐう覚悟をしていただくが、いかがか?私はこれまでもそうしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。私の子供も。あなたが同じ覚悟でこの牧に留まろうというなら、話し合う余地はある。しかしそうでないならば……ただ同じ種から生じたというだけでこの家の富を望むなら、それはできない相談だ」

男は牧にとどまらず、葬儀の日に墓前に参ることもなく帰っていった。

チロはその名前も顔も覚えていないが、そのねっとりとした声音を忘れることができない。荷物運びを手伝ったチロに、捨て台詞のように言ったことを。

「君も弟たちを追い出すんだろうな。なにせ、家を継げるのは一人だけだ。君の父親が俺にしたようにさ。ま、それまでせいぜい仲良く暮らしなよ」

そのあとも二、三人、祖父のしたことの償いを求めてボーロイクを訪れたが、そのたびに父は同じ話しをして、その言い分をしりぞけた。それで王の法廷に訴え出る者がいなかったのは、チロの父が相続は認めないまでも、いくらかの慰めを与えたからだ。

そうして、チロの父は一人で牧を引き受けた。時代は彼にきびしく、相続したものは財産というより借金に近いものだったけれど。

現に借金の督促もあった。馬は売れなかった。交配の知識を握っていた一族は出て行ってしまい、いまだに協力をこばんでいる。祖父がお気に入りの仲間にばらまいてしまった権益を取り戻すには、地道な根回しと手続きがいった。中には盗賊まがいの連中に渡ってしまったものもあった。

チロの父の眉間には、しわが深く刻まれてとれなくなっていた。

「私の代でかたが付けば良いのだが」

と、彼は言う。

「僕は、父の苦しみに報いなくては。父が祖父の罪を償わなければいけないなら、僕もそうです。弟たちを蹴落として、自分だけ父の背に守られているなんて……許されないでしょう」

チロはヨエルの手首を握った。指の感覚は頼りなく、雲をつかんでいるような心地がする。

ヨエルが静かにチロを見ていた。

「……そうやって、赦されるために死にたいのなら、ここに居てもいいよ」

甘い声が告げる。彼はチロの喉に手をそえたまま、身を乗り出した。体重がかかって、首が絞められる。チロは苦痛に目をとじた。白い影が覆いかぶさる。

額に、焼きごてを押し付けるような、やわらかく冷たい口づけが落とされた。

「安らかに」

チロの意識がもったのは、そこまでだった。