歩く人

見わたす限りの砂礫の荒地に、ぽつりぽつりと草が生えていた。まるで別世界の晴天を見ているかのような、鮮やか過ぎるくらいの緑の葉を大きく広げ、茎は水を通す音が聞こえそうなほど太く、引きしまっている。それをしなわせて、乾いた花骸をてっぺんにのこす艶やかな赤い実が鈴生りになっていた。そんな草が、道しるべか何かのように点々と。一種、異様な光景だ。ほかには枯れ草の一本も見当たらないというのに。

瑞々しい実を横目に見ながら、上等の旅着に身をつつんだ娘が足を引きずるようにして歩いていた。砂ぼこりにまみれ、指の先までからからに乾ききっている。何も知らない人ならば、そこらの実をもいで食べればいいじゃないかと思うかもしれない。しかし彼女はあの実が決してもげないことを知っていた。そしてたとえ齧ったとしても、砂の味しかしないことも。

空を渡っていた渡り鳥の群れの中の一羽が気付いて、彼女の頭のすぐ上まで降りてきた。

「どこへ行くんだい?この先に何かあるの?」

のんびりと羽ばたきながら渡り鳥は尋ねた。娘は渡り鳥の方を見ようともせず、首を横に振った。

「知らない」

「じゃあどうして歩いてるの?」

「人間ってそういうもんじゃない」

渡り鳥は鳥の声でひとつ鳴いた。娘が無視して歩いていくと、渡り鳥はやがて向きを変えて風をつかまえ、群れの中へ戻っていった。

しばらくして、娘は足を止めた。目の前にはひときわ立派なあの草が生えている。娘はそれを暗い顔で見つめ、しゃがみこんだ。手で砂の地面を撫でる。転んだら摺り傷ができそうなざらざらとした感触だった。細かい砂が手の表面を覆って、指紋を浮き上がらせる。しかしこの砂の層のはるか下には、目に見えない水脈が通い、目の前の青々とした葉、赤々とした実をはぐくんでいる。

「ずいぶん乾いてるね」

娘がじっとりと見つめていると、草が彼女に話しかけた。

「私には根っこがないからよ」

娘は淡々と答えた。すこし考えてから、親切な草は教えた。

「歩くからさ。根が育つ前に自分で引き抜いているんだ」

「だから人間は世界の果てから果てまで行き着いたのよ」

娘は怒ったような声を出した。草は茎を揺らして、たわわな実を見せびらかすように揺すった。娘は重い腰をあげてまた歩きだした。

歩けども歩けども、見るからに荒野は果てなかった。太陽は薄雲の向こうにくすぶり、風はほこりを巻き上げる。娘は口の中から砂のにおいがするのにも慣れてしまって、靴が合わないせいでつま先が痛むのも感じなくなってしまっていた。ふり返っても道はない。追いかけてくるものが足跡を全て消し去ってしまって、見つかるのは胸の空虚さだけだから、彼女はふり向かなかった。

疲れて岩に腰をおろした時、足元から声がした。

「やあ、妙な形をしたともだち」

「岩なんかと一緒にしないで」

娘は腹を立ててぴしゃりと言った。

「そうかい。岩でないなら君はなんだい?」

「人間よ」

「ならば私も人間というわけだ」

「違うわ。人間は転がってるだけのものなんかじゃない」

娘は立ち上がった。灰色の空がすこしだけ近くなった。けれど荒野の果ては見えなかった。娘はくずおれて泣きたかったけれど、そうしても良かったのだけれど、体の中の水分をふりしぼって泣いてみても、彼女が砂のように崩れて消えてしまえるわけではなかった。時間が、過ぎるだけのことだ。

歩き続けていると、影が彼女に話しかけた。

「人間は決められた道を往き還りするだけのものとは違う、人間は道の途中に安住するようなものとは違う、人間は無為に転がっているだけのものとは違う。人間は他のどんなものとも違う。個であることは、孤であることは、立派な人間の証よね?」

娘は唇をひきむすんで、何も答えなかった。彼女はひたすらに、耐えて歩くことの価値を信じていた。自分との戦いに打ち勝つことが人間の美徳なのだから。それができてこそ人間なのだから。

「私が死んだら、私の骸を苗床にあの草が育って実をつける。私の肉をついばんで渡り鳥は冬の住処へ渡って行ける。私の血は土に染みて、いずれ空へ昇って雨になるでしょう。人間は死にすら意味があるわ。では、歩いている間は、どれほどすばらしい生き物なの?」

娘は耳を塞いで目を閉じた。

「ただ倒れて死んだだけでは、そこから何の芽も出やしない」

そして、歩き続けた。